だれかへの手紙

全部ひとりごと

『生誕100周年記念 中原淳一展』すべての女性のための総合プロデューサー

@そごう美術館

今年で生誕100周年なのだそうだ。

美術館入り口、立派な向日葵が出迎えてくれる。


展示の最初、一面に並んだ『それいゆ』『ひまわり』『ジュニアそれいゆ』に目を奪われる。
中原淳一の描く、大きな瞳と山型の眉、ボリュームのある黒髪の女性が、美しく生きることを訴えかけてくる。

驚くのは、中原淳一の説く美しさの指南が具体的であること。
小さな部屋でものを収納し生活すること、少ない衣服で過ごすこと、端切れから新しい服やエプロンを作ること、さまざまな髪型の結い方、人形の作り方、季節にあわせたコーディネイトや色の合わせ方とそれが与える印象。どれも現代にだって通用することばかり。
「美しくと言ったって、じゃあどうしたら美しくなれるというのか」と迷うことがない。ものが少なくてもお金がなくても美しくなれるのだと、中原淳一が本気で日本中の女性を美しくしたいと願っていたことがわかる。

展示の終わりあたりで流れていた映像中に「美しくあるというのは、自分のみにくい部分を他人に見せて不愉快な思いをさせないというこまやかな気遣いのことです」というような言葉があって、淳一が訴える美しさは、醜くないということとは同義ではないんだなと思ったのが掬われすぎた。
美しくないものを裡に抱えていてもいいんだ。そういう自分の律し方の問題なんだ。美しく振舞おうと努める姿勢が美しいのだ。

展示の最後には各界著名人から中原淳一へ宛てた色紙がずらり。
高橋真琴竹宮惠子、假屋崎省吾、扇千景やなせたかし浅丘ルリ子…そうそうたる面々の色紙が飾られている中に瀬戸内寂聴からのものもあったのだけど、彼女が中原淳一の小学生の同級生だということにびっくりしたし、「私も90歳になりました。もうすぐそちらへ参ります。歓迎パーティして下さいね」って書いてらしていて泣いた。どの色紙も、中原淳一への尊敬と感謝と愛に満ち満ちていて、戦後の時代に求められた人だったことを痛感する。
自分もきっと、その頃を生きる女だったなら、縋るようにページを捲っただろう。

この展覧会は、絵を描く人も、服を作る人も、おしゃれが好きな人も、部屋のレイアウトを考えたい人も、童話が好きな人も、少女も、大人の女も、とにかくすべての女性にお勧めしたいし、あと荒木せんせいの描く女性が好きな人も好きだと思う、たぶん。
カラー原稿になる前、線画の状態のお洒落で美しい凛とした女性の絵を見ると、荒木せんせいの女性を思い出した。

中原淳一は、15年間休みなく、1日2〜3時間の睡眠で働いても追いつかないほどのアイデアと情熱に溢れた人だったのだそうだ。
結果、47歳で心臓発作で倒れて5年間の休養と仕事禁止を命じられたそうなので、いま無理して表現している子には本当にやめろと言いたい。死んだらなにも表現できない。

これは販売物だった。あの絵のような肢体があったなら。

そごう美術館は撮影NGの会場だけれど、衣服や部屋レイアウトの再現コーナーは撮影OKだった。デジカメを持ってもう一度行こう(下の写真はiPhoneで撮影)