だれかへの手紙

全部ひとりごと

『哀れなるものたち』女の人生


胎児の脳を移植された女が生きる話。
人間とは…という命題が好きなのと、ビジュアルや衣装が好みだったので。事前情報は公式サイトのあらすじとR18指定(性描写のため)なことくらい。
ファンタジー19世紀でありながらめちゃくちゃ現代の女の話だった。人物のことを「男」「女」と呼ぶのはできるかぎり避けるべきと思っているけど、この映画は女の話だった。男性主人公では起承転結の起がまず発生しない。
女をエンパワメントするフェミニズム映画だよ。

エマストーン「彼女はあるべき姿を教え込まれていません。それって素敵なことね」「ベラを演じることで受け入れたかった。自由な女性であることや自信を持つことを。ヤバい部分もね」
マークラファロ「女性が生涯求められるあらゆることに彼女は縛られない」
youtu.be


なお、この映画に対し慎重になった方がいい人は以下です。
・DV被害経験があってそういった描写を避けている人、フラバの可能性がある人、モラハラ男を見たくない人
・セックスシーンが苦手な人(R18と聞いて想像した100倍セックスしてた)

www.searchlightpictures.jp

以下はネタバレあり。DVや自死の話があります。



エマストーンすごかったね…すさまじかった。鬼気迫るというか…それがそのままベラの力強さとしてスクリーンからあふれ出してくるので説得力がすごい。停滞することが一瞬もなかった。常に何かに興味を持って、大きな目を見開き、歩き、学ぶ。後半のベラがたびたび「改善する」と言っていたそのままの姿。

ファンタジーやスチームパンクっぽいわりにロンドン・リスボン・パリなどの実在地名が出てくるのでちょっと混乱した。あれは写実ではなくベラの見ている世界も混じってるのでしょう…リスボン、絵本の世界みたいだったし。序盤の屋敷はモノクロだったり魚眼だったりしたし。

正直冒頭のベラは、(足でピアノを弾いても失禁してもエマストーンなので)美しくはあるけど、人としてはあまりにも目に余る振る舞いで、仕事だとしてもいきなり二人きりにさせられたら手に負えないよ…
と思っていたらマックスは順調に惹かれていたのですげ〜ってなった。無知な美女が好きな男キモいな〜、けど即ヤッちゃおとかではなく結婚する気まであるならまあ…と見ていたら無知な美女が好きな男②ダンカンが現れて、お前もか〜〜
こっちはマックスと違って強引さがあるので即外の世界へ連れ出し&セックスしていて、でもそれはベラも望んでいたことだから愚かなりwin-winという…初めての男にテクがあったのもよかったのか何なのか…
ダンカンは奔放な美女とヤリまくれてラッキーだったろうけど、奔放なのは自分のベッドの上に限らないので、晩餐での非常識な言動やベラが他の男と平気で寝ることにすり減らされていく…声をかけて連れ出したのは自分なのに、手に負えなくなるとお前が俺を狂わせた!みたいに悪びれなく責め立てるところ、ウワー…すぎた。ウワー…現代と変わらん…
かといってベラに常識を手に入れてほしいかというとそうでもないところもまたウワーで…船のデッキでベラが読んでいた本を海に投げ捨てる(2回も!)ダンカン、賢い女が嫌いな男の描写が上手すぎ。女が思い通りに動かないことに癇癪を起こす成人男性と、それをじっと見上げるベラ、ベラに本を渡す老女、同席している若い黒人男性の図、風刺画かと思った。
ああいう価値観って本人が勉強しない限りほぼ変えられないと思っているので、最後までクズのままでよかった(よくはない)まさかもっと最悪の男を連れて現れるとは思っていませんでしたが…まあリスボンのホテルでベラが別の名前で呼ばれた時点で想定できる展開ではあった。

既視感のありまくるモラハラ態度の連発に見てる方はオエーってなるんだけど、ベラはオエーとはならず馬鹿正直に向き合うので、その毅然とした態度を取れることが羨ましかった。「私が他の男と寝ることがあなたの所有欲を傷つけるのか?」みたいなこと言ったの拍手したかったもん。
いや不貞行為を肯定したいわけではなく…あの二人は肉体的に誠実である契りを交わしたわけではないし、ベラが奔放なことなんてその身をもってよく知っているはずだし、ダンカンは勝手にのめり込んでいるだけでベラを所有しているわけではないし、寝た相手の数でお前が女の価値を決めるなって話。
ベラが買ってきたエクレアを、娼館で稼いだ金で買ったと知った瞬間地面に叩きつける姿も象徴的で、哀れで…自分はただずっとあのベンチに座っていただけだろうに、他方何とかしようと歩き回り、身体で金を稼げると知って行動し、食べ物を買い、ダンカンにも分け与えるベラ…そりゃあみじめでしょうね…
しょうもないプライドのせいで全力で破滅していく、滑稽な男をちゃんと滑稽に描いてくれる誠実な映画。

貧困層の存在を知って慟哭するシーン、同じ世界に生きていてどうにかしたい気持ちはあるのにあまりに無力なことを突きつけられるという点でガザの虐殺を想起した。
貧しいのはつらい、人が死ぬのは嫌だ、何かしたいのにどうしていいかわからない、敵意を向けられるのは怖い。普遍のことも、生まれた瞬間は知らず、生きていく中で知ってゆく。

ベラはセックスが好きなんだけど、相手を見た目で選んでいないところがいい。ガリガリの老人とも太ったおっさんともやる。娼館での最初の客に不満を漏らしたのはセックスが下手だった(自分を気持ちよくしてはくれなかった)からで、顔がかっこよくないからとかじゃない。
ヤるために金を払ったのにその前にベラの話し相手になってジョークに笑ってくれる客もいた。ハードなプレイをする客もいた。子供たちを連れてきてセックスを見せる裕福客も…あいつが一番最悪じゃなかった…?メモ取る子供と死んだ目の子供どっちもきつい。きついよ…それは紛れもなく子供への性暴力、虐待です。
女が選ぶのはどう?って提案するところもすごい。そんなことできるわけないってベラ以外の全員も観客もわかっていて、変えようと考えすらしないけど、ベラは思いついて提案する。ここにベラの無垢さが一番表れていた気すらする。

娼館の老婦人がベラへ「お前は特別だから」とお菓子を持ってきてベラが「誰にでもそう言ってる」みたいに返すところ、間違っていないけどたぶんあれがすべてでもないんじゃないかな…と思う。
船で出会った老婦人もそう。自分より若くて危なっかしい女の子がいたら何かできないか、せめて最悪の展開にはならないようにと考えてしまうのわかるもの。過去に自分が傷ついたことを思い出したり、あのときもっとああいうふうにできていたら、こんな救いの手があったらって、どれだけ時間が経っても考えたりしてしまうから。

ベラが世界や社会に関心を向け続ける中で「頼る相手のいない女がひとりで稼ぐには身体を使う、その金で学校へ通う」というの、あんなに別世界みたいなビジュアルしておいて思いきり現代なのでしんどかった。そんなことしなくても自由に学び、生きていける社会へいつになったらたどり着けるんだ。
学校へ通うベラ格好良かったね。社会主義の女と出会ったのも、その子とセックスしてたのも、ロンドンでも一緒にいたのもしみじみしてしまう。

あの世界多分ゴムや避妊技術がない(あっても使っていない)だろうからベラが病気にならなくて本当によかったです。マックスと性病検査の話してて、性病の存在は認知されている世界なんだ…と思った。

そして幸せでささやかな結婚式に現れる元夫…最悪!最悪!!最短距離で生命を脅かしてくる!と同時に金むしり取って去っていったダンカンの小物さが浮き彫りになる。全然なんにも嬉しくない。
妻のクリトリスを切除すれば言うことをきかせられるようになると思ってる(??)のもはや何重にもやばすぎて気絶しそうだった。その理論がまかり通るならおまえの性器をねじ切ってあげるよ。
「ほらクロロホルムだよ、飲んで」みたいに言ってたの、あんな簡単な反撃すら想定していない危機感のなさがそのまま妻を舐めきっていることの表れで、最悪男描写の博覧会、バリエーション広い。
生前のベラ、そりゃ身投げするわ…と思うし、あんな環境に軟禁されていたのに身投げできる橋まで逃げられたことが奇跡のように思う。あのときのベラにできた自由のための選択はあれしかなかった。それに比べて生き直しているベラの可能性のなんと広いことか。

人の脳を移植したり人に動物の脳を移植したりする時点でそもそも倫理観のねじ曲がった世界なのだけど、ベラが血まみれの元夫を「死ぬところは見たくない」と救おうとしたのが眩しかった。あんなに誰が見ても最悪で、銃で脅し他人を屈服させることが趣味の人間だろうと、死ぬところは見たくないんだ。ベラがまっさらな状態から砂糖と暴力を知り、知識と社会と貧困と学問を知り、冒険の果てに獲得したのがそれなんだ。
まあベラのそのまばゆいばかりの希望の結果、羊?山羊?の脳を移植して彼は四つん這いの草食動物になってしまったのでいいことだったのかはわかりませんが…

死ぬところは見たくないけど、死んでしまったゴッドの身体や脳をどうこうしないところに、ベラが人間の人格を認識・尊重している様子が見てとれる気がした。
そういえばベラの生き直しの中に宗教は出てこなかったな。ガチガチカトリックの世界なのに。宗教が女を自由にするかというと残念ながらそうはならないので出会わなかった(出会わせられなかった)のかな。

マックスのこと最初は無知な美女が好きな男キモいな〜と思ってたけど、戻ってくるのをずっと待ってたし、ベラが娼婦をやっていたことも責めず「君の体は君のもの」と言うの、ここまで出てきた最悪男性との差がでかすぎたね…こんなにあまたの男とのセックスシーンがある中で、マックスとのそういうシーンは出てこない。
ラストシーンであの狂った楽園のような庭に一緒にいるのも道理だよ。

ラストシーンといえば、物語の途中でベラの代わりに屋敷で過ごすようになった成長の遅い女の子が、最後にはボールをキャッチできるようになっていてよかった。ベラがベラの冒険をしたように、彼女にも彼女の冒険がある。

ところで最初から最後までずっとゴッドの屋敷にいる女性は何者だったんだろう。ただの使用人の仕事じゃなさすぎて、でもずっと平然と…というわけではないけど大きく動揺することはなく適用していて、一体何者なんだ…剛の者なことしかわからない。
元夫の屋敷の使用人が給仕中に犬に吠えさせられて大きくビクってなってたので(あの屋敷ではあんなこと日常茶飯事だろうに)よけいにゴッドの使用人の度胸が強調されていた。

日本版ポスターに「映画史上最も大胆で、空前絶後の“冒険”」とコピーがついているのだけど、この作品をアピールしようとしてこんなに虚しい言葉になっちゃうんだって観賞後に驚いた。
たしかに美術は今までに見たことのない美しさだったし、ベラの振る舞いは大胆ではあったけど、やったことはただ、閉じ込められていた女が外への興味をもって飛び出して、感じた疑問を口に出し、学び、金を稼ぎ、自立していっただけだよ。架空のモンスターと戦ったり、魔法やスーパーヒーローみたいな力を持っていたりするわけでもない、ただ人として生きようとする力をほとばしらせていただけで、女がやると「空前絶後の冒険」になっちゃうんだ。
主人公が男ならこんなコピーにはならなかっただろうに、と一瞬だけ思ってすぐにやめた。主人公が男ならまず身投げするような状況にならない。暴力男に孕まされることもないし、パートナーがDVをする人であったとしても生きて逃げて別の場所で生きられるだろう。
だからこれは女の話。そしてベラのような女を恐れ、けれど関わらずには生きられないから直視しないといけない男の話。

この物語はベラの成長物語であると同時に、ベラと、彼女をコントロールしようとする者たちとの闘争の物語でもある。コントロールしようとする者は、人格下劣な男ばかりとは限らない。高潔な者が魔が差してそうすることもある。女性がそうすることもある。威圧的な行動によってではなく、同情を引くことで(無意識に)コントロールしようとすることもある。

映画『哀れなるものたち』レビュー──エマ・ストーン演じるベラの成長と闘争を描くバロック・ファンタジー | GQ JAPAN